面白い本を紹介します。
これは筑波大学の1年生を対象とした「数学専攻を希望する者のための、言葉の訓練」を目的とした講義や、高校の教員対象の講演を元に書かれたものです。
著者が冒頭に述べられているように、決して「論理学教育」の本ではなく、「論理教育」の本です。
数学科を希望する学生といえども、数学を学ぶ上で必要な論理が身に付いていない。それでは困るので本橋先生が「2,3時間の講義で言葉の訓練をする」つもりで始めたことが、結局は1年間の講義になってしまったと言うのですが、本書を読めばそのレベルは、実質的には大学入試の数学を解くために必要(ないしは知っておくのが望ましい)というレベルなのです。
つまり、大部分の学生はその程度の論理さえ身に付いていないのか・・・ (-_-)
本書は、数学に生半可に親しんだ私にとって、つい見過ごしていたモノに気づいたり、表現できない気持ち悪さを持っていたことを明確に把握できたりと、本当にためになる本です。
例えば、
(『PならばQ』という命題はPが偽のときは真になることの詳しい説明、および誤解の説明をして)
「仮定が間違っている条件文なるものはあり得ない」(えっ!)「『ならば』を表す⇒と→の違い」(以前、人に聞かれてわからなかった)
などがありますし、一番面白いのは「通常様々な教科書で使われている群(ぐん。数学の基本的な概念。(長谷川注))の定義は誤っている」という示唆です。
次の定義(初心者向けのある本からの引用です)のどこがおかしいかわかりますか。
定義 集合Gに、演算GxG→G、(a、b)→ab が定義され、以下の3条件を満たすとき群という。
1.任意のa、b、c∈Gに対し、(ab)c=a(bc)が成り立つ。
2.任意のa∈Gに対し、ae=ea=aを満たすe∈Gが存在する。
3.任意のa∈Gに対し、ab=ba=eを満たすb∈Gが存在する。
こういう定義の書き方におそらく私も習いたては違和感があったはずですが、「こういう意味だ」と承知で読んでしまうから、最初はどこがおかしいかわからなかった。「慣れ」は恐ろしい。テキストの問題文でも、教師の目を離れて客観的に読む必要があるものな。
さぁ、この定義のどこがおかしいのか、是非本書をご覧下さい。
誤植を見つけました。(^o^) 49ページ、3行目の「仮定」は正しくは「過程」でしょう。